ジモト
今日はだいぶモヤっていた。
春霞?
この地に住んで46年。
大阪は泉佐野から奈良県の富雄を経て、小学2年の時にここにやって来た。
来て最初、ビックリした。
なにも
なかった!!
実にど田舎だった。
山と田んぼだけだった。
もちろんコンビニなど無い時代、スーパーマーケットや店もあまり無く。
元々決して都会っ子などではなかったが、
でも子供心にそう思った。
憶えていないが、駅で大きな声で『チンチン電車や!!』と叫んで、親が恥ずかしい思いをしたそうだ。
それからすぐに2両編成にはなり今辛うじて4両編成、まだ一部単線のところが残っている。
あれから、新興住宅地としてヒトがどんどん入ってきて、なんとか店も増え、道路やいろんなものが整備され、大阪へのアクセスとして高速道路なども開通し今その出入り口が家から少し行ったところににあったりする。
大阪難波へは電車で1時間かからない。
年々便利になっていく生活環境。
でもその反面、まだまだ残る豊かな自然。
今、ほんとうに住みやすい。
改めてすごくそれを感じている。
最近、ますます、地元この生駒を大好きになっていく。
学生時代、社会人になってからもしばらく、この生駒にというか、奈良に住んでいるという事がイヤだった。
小学生から高校の頃までは大阪に遊びに出たくてウズウズしていたし、大阪の大学へ行ってた頃は神戸の友達が多くなんかみんなオシャレな感じがして、奈良県民という事に密かに劣等感を持っていたりした。
食べ物においても、『奈良に美味いもん無し』などと言われるのは有名だった。
結婚して子供が生まれた頃からだろうか、
ちょうどいろいろ整備され便利になってきていながら、それでも生駒山へ子供と一緒にカブトムシやクワガタなんかを採りに行けるという、
『もしかして、めちゃめちゃイイところに住んでるのではないか?!!』
という実感が湧き出してきたのは。
そして、15〜6年くらい前から、なんとその生駒山の中腹や周辺に、オモシロくオシャレで美味しい食事処なんかが増えてきている。
スリランカ人のやってるカレー屋、
古民家でやってるうどん屋、
元サーファーがやってる?石窯ピザ屋、
昔の遊郭?旅館を改造したレゲエが流れる自然菜食のカフェ、
等々.....
特に生駒山中へ行くには、ハイキングなどという事でないならば、クルマでなければちと厳しい。
でも遠方からも含めてお客は絶えないようだ。
商売は立地だ!などと言われるが、そんな不便な場所までわざわざ行って食べるというのが、セオリーの逆をいってるニーズとして成り立っていて、とても興味深い。
カレー屋は平日でもいつも繁盛している感じだ。
待つ間、食べ終わってから、ゆったりと自然に接する事ができるのが魅力なのかもしれない。
わざわざそこへ取りに行くからこそ価値があるみたいな。
手を伸ばせば何でも取れてしまう今の世の逆のニーズというか。
また、近くに住む自分にとっては、さらにそのまた逆で、クルマで10分もかからないその生駒山中は、降りてみると未だになんかちょっとした旅行に来ている感じすらある。
居ながらにして行ける旅行の様な。
今となっては、自然があって、便利で、都会にもすぐに行けて、オモシロくオシャレでオイシい、そんなところに住んでいる事に優越感すら覚えてしまう。
そんな事に気をよくして最近、自分で勝手に「勝手に観光大使」を名乗ったりして、鼻高々に他県や他市の友達や知り合いに地元のお気に入りの店なんかをを薦めている。
友達にちょっと冗談半分で話しているレベルで、それこそSNSとかで本格的にやってる訳ではないが。
もちろん、生駒だけでなく、他の奈良県下、奈良市内などももっといろんなイイ店がいっぱいできたりしている。
あくまで大きなイメージとしてだが、関西における整備された観光地としては、奈良は、神戸や京都には敵わない。
でもうまく云えないけど、語弊があるかもしれないけど、なんか整備しきれないどこか寂れてる感じを持つところが、殺伐とした現代の現実をひとときでも忘れさせてくれる気がして、そこが奈良の魅力なのではないかと思ったりする。
それは、神戸や京都がやろうとしてもできない奈良独自のアイデンティティーではないだろうか?
そして我が生駒は、その象徴のひとつではないだろうか。
などと「勝手に観光大使」は偉そうなことを吹いている。
絶妙な寂れ感。
今日のモヤった生駒山の様な。