ジモト 7
幼少の頃は電車が大好きだった。
生まれてから4歳くらいまで住んでいた大阪の泉佐野は、南海電鉄の沿線。
毎日のようにバアちゃんに最寄り駅まで電車を見に連れて行ってもらっていた。
色鉛筆で絵もしょっちゅう描いていた。
その後、近鉄沿線の奈良 富雄周辺に移り住んでからも電車に乗るのは大好きで、その頃のよくいる子どもと同じく、乗ったら必ず一番前の運転席のドアに張り付いて運転士さんや進行方向をひたすら凝視していた。
ゆえに、
人生、最初にハマったモノは、
"電車"
である。
今は、"鉄道マニア"でも"電車オタク"でもないので(笑)、もうまったく興味はなくなってしまっているが、現在の地元、同じく奈良を走るローカル線、生駒 – 王寺間を結ぶ近鉄生駒線には、
やはりちょっとした愛着はある。
今なお田舎でのどかな雰囲気の路線。
昭和39年、近鉄に吸収合併される前までは信貴生駒電鉄として運営されていた。
だから、昔からの地元の人は未だに"信貴電(シギデン)"と呼ぶ方も時々いらっしゃる。
自分がこの地にやって来たのは、小学2年の頃。
まだ"シギデン"の感じが残るその当時の生駒線は、なんと1両編成(編成とは言わないか)。
初めてそれを見た自分は、駅で大きな声で『 チンチン電車や !! 』と叫んで、親が恥ずかしい思いをしたそうだ。
それからすぐに2両編成にはなり、今辛うじて4両編成。
本数は、今でもラッシュ時などで混む時間帯以外は1時間に3本程度。
でも、あの頃から比べたら、車両、ホーム、改札や駅構内も随分整備された。
ただ、まだまだ単線区間もかなり残っているし、夜遅くもしくは終日 無人駅のところもほとんどだ。
まさに田舎の象徴である。
それでももちろん、自分や家族にとっては、
毎日の通勤、休日 クルマ以外での奈良市内や大阪へのお出かけ … など、
なくてはならない交通手段である。
そんな地元の"電車"。
ちいさい頃の様に、
ちょっと追いかけてみた .....
王寺行(現在一部 東山行)の始発駅。
当然、すべてが各駅停車。
菜畑駅から出発する車両
この駅が高架になるとは!
なった当時は歯の浮く感じだった(笑)
一分駅
今はなき実家はここが最寄りだった。
また、最初の子どもが生まれるくらいまでここの駅近に住んでいた。
現在の我が最寄り。
昔はこの駅止まりの"南生駒行"なんてのがあり、駅の側にすごく小さな車庫もあった。
萩の台駅 ホーム
自分が生駒に来た頃には無かった新設の駅。
できてもう何年経つのだろう?
東山駅 改札 出入口
昔は山の中の無人駅で、ホームは単なる土手だった(笑)のが、今はこんな感じで周辺も新興住宅地。
元山上口駅付近
車両の"寄り"。
昔の雰囲気がまだ漂うホーム。
昔の雰囲気がまだ残る駅舎。
のどかな田舎を走る車両。
竜田川駅 踏切
この駅、今まであまり知らんかったなー。
勢野北口駅 ホーム
ここも田舎の駅だ〜。
そういや、高校時代、この駅最寄りの友だちの家に遊びに行ったわ。
信貴山下駅 改札口 駅構内より
昔はこの駅から信貴山へ登るケーブルカーが出ていたが、廃止になってもう久しい。
信貴山下駅付近
大和川を渡る車両。
そして 終点 王寺駅 改札 出入口
向かって左手にJR。
そんでもって、オマケ
JR王寺駅
昔の国鉄の雰囲気が残っていて、ちょっとした旅行に来た気分だ。
以上、
全部で12と少ない駅数の路線なので、なんとかなるとは思ったが、
今日まで周辺をよく知らない駅もあったり、
シャッターチャンスの電車待ちもあったり、
"電車オタク"でないので、どう撮影していいのかわからなかったり(笑)、
結局、そんな大したモノにはならなかったが、それでも休みを二日もかけてしまった。
だけど、
とても楽しく充実した、なんだか子ども心に返れたひと時の"取材"であった。
幼少を思い出して一生懸命になる。
たまには、こんな休日もいいものだ。