モノゴコロ

⭐️ 物心がつくって.. 幼い頃の話で よく言うけど... ⭐️ ⭐️ 実は.. それ以降ずっと.. 物心はついたままなんだ.. ⭐️ ⭐️ 生きてる限り... ⭐️

ヘイオン

 



平穏無事な日であるように思える。

それは、
自分にとって。

自分がそんな環境にいる事ができて、そう思えているからである。


しかし、今現在、自分が知り得ていない、想像できないところでは、まったく平穏無事ではない状況が繰り広げられている。きっと。

... というか、
当たり前というべきなのか、
まず、何らかの平穏無事ではない事は常に起こっている。
日本だけでなく世界にも目を向ければ、さらに、果てしなくである。

毎日毎時毎分毎秒 .....

 


後に"大きい"と表現される規模の災害や事件が起こった日。
そこから毎年訪れる同じその日に、
ニュース .. 報道 ... メディアは、引き続きその事とその被害の状況を取り上げる。
年月が経つと、その取り上げる事自体 薄れていくという問題意識をも伴ないながら。

また、それらに呼応するように、みんな様々な気持ちを新たにする。

もちろん、それは大切な事だ。
そういった折にふれて という事もとても必要だ。
正直、"思い出す"キッカケになるという点でも重要である。


だけど、

いつも思う。


被害に遭われた人々の苦しみ悲しみは、取り上げられていない そのほとんどの時間、また 報道されなくなってからも、
日々続いているはずだ。


それと、

例えば、"大きい"とは、どれくらいの規模なのか?
どこからが大きく、それ以外は小さいのだろうか?

取り上げられていない"小さい?"災いは他どれくらいに上るのだろうか?

その取り上げられていないなかで、被害に遭われているであろう人々は、"人知れず"どう生きているのだろうか?


災いは自然災害だけではない。

第二次大戦後.. 今のところ我が国には起こっていない 戦争。
人災 ... 犯罪。
犯罪とまで断定できない事。
所謂イジメ、ハラスメントと呼ばれる事までも含めて。
ヒトによっての感じ方まで言い出すとキリが無いとも言えるが、
自ら命を絶つというケースも昨今多々ある。

そしてそれらがニュースになったとしても、当然 そのすべては伝わって来ない。

 


いつも思う。


流れてきた情報だけを鵜呑みにしてしまって、あまりにも考える事をやめてしまってはいないだろうか?
その反対側にあるものを気づく事も無しに。

情報を得るという事の限界も承知で、
わかっていながら、

そんな情報の取り方が"癖"になってはいないか?

と、自分に問う。


みんな どうなんだろう?

 


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今朝、仕事に出る前、雲ひとつない青空を見た。

まるで、平穏無事であろう日を象徴するような。


ゆえに、

特別ではない そんな日にこそ、

敢えて、

知り得ている知り得ていないに関わらず、そんな厳しい環境下にいるであろう人たちに"思いを馳せる"という事だけは少なくとも忘れないようにしたい。

自分のなかの折にふれて。


結局のところ、その"実際"と"真実" すべては当事者しかわかり得ない。
その多くの方々の苦しみ悲しみは計り知れず、ましてや、自分なんかが拙い言葉で語れる事ではない。
さらには、自分ができる事など、とてもとても小さい。
しかも、その小さな事すらやれてはいない。

だから、

せめて。

 


いつどうなるかわからない 自分が平穏無事だと思えている今日という日に感謝しながら。

 



・・・・・・・・・・

 



こんな事を綴っている間にも、
台湾で、M6.1の地震があった様だ。

被害が最小限である事と、被災された方々には1日も早い復興を切にお祈り申し上げます。


この報道も、情報の一部でしかないという事を頭に置いて。