ツナグ
四天王寺。
大阪は天王寺区にあって、
聖徳太子が建立したとされる宗派にこだわらない和宗総本山 ... 。
今日は生憎の雨。
毎年1月、
年が明けて少し経ってから、
祖父の命日である27日までのいずれかの休日に家族でお参りに行く。
自分が幼い頃から続いているウチの家の慣例である。
亡くなったオヤジの父親、自分にとってのジイちゃんは、オヤジが中学の頃に病気によって早逝したそうだ。
従って、会った事はないのであるが。
その祖父を含めた先祖の出身は愛知県岡崎市。
自分のルーツは岡崎にある。
そんな訳で、元々、先祖代々のお墓も 今暮らしている奈良や関西にはなく岡崎にあり、そこまではなかなか行けないという事で、
お墓参りの代わりにここに来ていたのだった。
そして、もう14年は経つが、オヤジとオフクロが建てた地元近くにあるウチのお墓については、眠っているのは 実家で一緒に住んでいたバアちゃんからなので、
ここ四天王寺へのお参りは、
自分にとって、特に、会った事のないご先祖様たちに対してというものとなる。
オフクロが亡くなった後も受け継いで家族で行っている年中行事だ。
祖父や先祖の話は、バアちゃんやオヤジが生前、折にふれて少しは話したりもしてくれてはいたが、
ちゃんとは憶えていない。
四天王寺についてもまったく不勉強でよくわかっていないし、何故お参りがここになったのかも知らない。
かなり前に一度だけ行った事のある岡崎のお墓も、親戚に再度訊き直さないと行き方もわからない。
詳しくは、何も知らないし、何も憶えていないし、何も勉強していない。
情けない。
家を継いだ者が、そんな事でここまで来てしまっている。
何も考えず、オヤジやオフクロにただついて来ていただけだった。
親不孝だけでなく、先祖不孝でもある。
この時代、昨今はみんなもきっとそんなもんなんだろうという安心材料を探して自分に言い訳してみるが。
でも、今はなんとなく、
堅く考えるのでなく、義務感というものでもなく、
自分にもルーツがあるという事を想い、
やりたいからやってるという感じでこの年中行事を続けようと思っている。
よくわからないでやっている事でもあるが、
自分が生きてる間は、見よう見まねでも、子供たちにも付き合わせていきたいとも思う。
自分がこんな調子なので偉そうには言えないが、
これから子供たちはどう感じていくのだろう ...
岡崎のお墓も、親戚に訊いて久々に行ってみたい。
いずれにしても、
ご先祖様があって、今の自分が存在している事に変わりはない。
少なくとも、それだけは感じながら。
「 いつも見守っていただき有難うございます! 」
と手を合わせる。
せめて、自分がどこから来た者なのかという事だけでもここに記しておきたい。