モノゴコロ

⭐️ 物心がつくって.. 幼い頃の話で よく言うけど... ⭐️ ⭐️ 実は.. それ以降ずっと.. 物心はついたままなんだ.. ⭐️ ⭐️ 生きてる限り... ⭐️

キオク


祖母が亡くなってちょうど20年になる。
享年89歳。

病院でその最期に立ち会った。

オヤジが用事で間に合わなかったので代わりに手を握っていた。
晩年、認知症もあったので、それをオヤジだと思って逝ったのだと思う。

病院でオフクロがかなり泣き崩れていたのが印象的だった。

葬儀の時、最後の挨拶でオヤジも泣き崩れた。
オヤジが泣いたのを見たのは後にも先にもそれ一度きりだった。


今日は命日だ。

もう20年になるんだ.....


少し記憶が薄れてきている。


気が強くてハッキリものを言うひとだったが、孫には弱いところもあって優しくしてもらった。
オヤジも自分も一人っ子なので、祖母にとっては一人孫という事で多分余計に。
それでも大学生の時一度、オフクロとの事で思いっきり楯突いて憮然とさせた事はある。

結婚して実家を出るまで一緒に暮らしていた。


火鉢の傍でキセルで煙草を吸っていた。
火鉢の上で沸かしたお湯で抹茶を点てて飲ませてくれた。それが好きでよくせがんだものだった。
勉強ができたようで若い頃は当時の女学校にも通っていたと聞く。
よく本を読んでいるところも見かけた。
実家は裕福な酒屋だったが戦争ですべてを失ったそうだ。
姉2人と兄と弟の5人キョウダイ、3人娘のなかでは末っ子だった。
戦中戦後の物が無いなか、夫を病気で早くに失い、女手ひとつで一人息子を育て上げた。それがオヤジだった。


いろんな話を聞かせてもらったのに、ちゃんと憶えていない。
誰しも失ってから思うのだろうが、今になってもう一度訊きたい事は多い。


幼い頃、当時住んでいた沿線の電車と最寄り駅前の色の変わる噴水をよく見に連れて行ってもらった事は憶えている。
それと、週に一度、祖母の部屋で一緒に寝る日が決まっていて、その日はラジオを聴きながら寝る。
「夢のハーモニー」という就寝時に落ち着いたクラシック系の曲を聴かせる番組を聴きながら眠りにつくのだが、それが好きで毎週その日が楽しみだった。

そんな祖母だったので、呆け始めたときには、まさか、となかなか受け入れる事ができなかった。
オフクロが買物なんかでちょっと外出した時でも「おかあさん、どこ行った?」とほぼ5分おきくらいに訊かれて困った。

それでも、少女時代や昔の事を訊くと、不思議と鮮明にイキイキと話してくれた。

そんな症状と足腰もかなり弱っていたので、結婚式には来てはもらえなかった。
式当日、ひとりにはできないのでデイサービスに預かってもらうため、オヤジ、オフクロと一緒にクルマで送っていった。
事態を飲み込めず、取り残された感じで不安そうだった。
一時の事だが、みんな、なんか悪いことした感じで後ろ髪を引かれながら式場に向かったのを憶えている。


いずれ、そんな思い出さえもまた少しずつ薄れていくのだろうか?
いろいろ聞かせてもらった話の様に。


亡くなる少し前だったか、祖母が「ああ、毎日私なんか夢見てるみたいやわ」と呟いていたのが忘れられない。
夢か現実かがよくわからないような状態だったのかもしれない。
でも、不安な感じには見えなかった。
むしろいい夢見心地な感じで呟いていたような。

自分ももっと歳をとると、呆けていくのだろうか?
最近、物忘れもヒドいしな...(苦笑)


祖母の20年目の命日に接して、
憶えているという事と思い返すという行為をとても大切な事だと、もっとそれを心掛けたいと、
改めて思う。
故人に対しても、1年に1回というのではなく、せめて月命日ぐらいはそうありたい。少しでも。

故人や昔のいろいろな出来事に思いを馳せる。

そして同時に、今、またこれからの本当に大切な事を強く心に刻んでいく。

怒涛の情報に溺れながら生きねばならない現代。
殺伐と矢のように過ぎ去っていくそんな毎日に振り回される事、惑わされる事のないように。


オヤジも今夏、十三回忌を迎える。オフクロは先日一周忌を済ませた。

結局、オヤジの時もオフクロの時も死に目にあうこと事はできなかった。

バアちゃんだけだったな...

なんか、ふと思った。


昔の女性の名前はカタカナのひとも多い。
祖母の名前もそうだ。


キク


バアちゃんの名前

ちゃんと、このブログにも刻んでおこう。


改めて、


合掌.....


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